艦船物語

2014年7月29日 (火)

艦船物語~駆逐艦編2

艦船物語~駆逐艦編

皆様こんにちは。
前回は駆逐艦の誕生のお話でございました。
駆逐艦はその誕生と同時に、目的であった『水雷艇』の撃滅を事実上達成してしまいます。
駆逐艦は『水雷艇の駆逐』と『水雷攻撃』を目的とするフネになったのです。
そんな駆逐艦の次の敵は

『海』

そのものでした。

ではいつもの前口上。

ガチな方はお帰りください。っていうか石投げるのやめて。
基本的に、大まかな流れを浅く緩く短く文章にしてみようかと思いますので、より詳しい事をお知りになりたい方は専門誌なりググるなりしてくださいませ。
それでは、駆逐艦の物語を。




第2回「俺たちを忘れるな!イタリア海軍とフランス海軍」




さて、水雷艇を駆逐するフネとして誕生した駆逐艦。
当時、水雷艇が50トン~100トン前後だったのに対し、駆逐艦は300トン程度ありました。
水雷艇と最低でも同速を出す機関と、圧倒できる火砲を積めばそうなりますな。
しかし、駆逐艦には一つ問題がありました。
航洋性ゼロ。
航海はできる。しかし、戦闘はできない。ちょっと荒れれば浮いてるのがやっと。
一種の迎撃艦隊をそろえようとしたフランス海軍であればさほど問題にはなりませんが、七つの海を制覇する大海軍国イギリスにとっては大問題。
かくして駆逐艦は大型化の道を歩みます。
大型化すれば航洋性が増し、そうなれば任務も増え、任務が増えればまた大型化。
この時期、駆逐艦は艦隊の前衛や偵察、哨戒、護衛、と何でも屋になりつつありました。
300トン→600トン、そして第一次世界大戦前夜には、駆逐艦は1000トンに達します。
そして、イギリスが1000トン台の駆逐艦を作れば、当然対抗上他国も同種の駆逐艦を作るわけで
当時の駆逐艦のスペックは
排水量1000トン、10cm砲4門、速力30kt

航洋性は一応あるものの、艦隊決戦時、海が荒れれば戦闘力を発揮できるか疑問、というのが普通。
そして第一次世界大戦後、駆逐艦は新たな世界を切り開きます。

『より高い航洋性を求め、駆逐艦の巡洋艦化を求めた日本海軍はついに大型駆逐艦の特型を建造し、その優秀性から各国も追従するのであった』
なんつー話は提督であれば、いくらでも聞いているかと。
さて、ここから先は
『いや、ちょっとそれ違うから』というお話です。




●戦前から持ってたもんね!イタリア海軍の場合
ミラベロ級。1800トン!10cm砲8門(単装)。45cm魚雷発射管連装2基4門。速力35kt。1916年就役。
えらくでかいですが、それもそのはず。イタリアでは『偵察艦』というカテゴリになるらしく、小型軽巡的な扱いだったようです。
続いてレオーネ級。こちらは戦後で1924年就役。12cm砲連装4基8門。53.3cm魚雷発射管連装2基4門。速力34kt。1770トン。
こちらも偵察艦。

特型駆逐艦は1920年から計画開始だが、最終設計案がまとまったのは1924年。起工は1926年。就役は1928年。
大型化や重武装はこっちが先ですぜ。

ただし、イタリア海軍の場合、レオーネ級の後は1000トン前後の、ある意味普通の駆逐艦になるので、この2つの級が異色すぎる、ともいえます。




●大型駆逐艦の本場フランス海軍の場合
第一次世界大戦後、大戦前に建造した駆逐艦はことごとく旧式化してしまったのはどこの国も一緒なのですが、本国が地上戦の舞台になったのがフランスの不幸でした。イギリスは戦時急増で駆逐艦量産しまくったに対し、フランスは持てる工業力を地上戦用兵器の製造にあてます。
その結果、フランス海軍の駆逐艦勢力は
戦前の旧式化した駆逐艦と、海外(日本製だ!)から購入した新しい駆逐艦と戦時賠償で得たドイツ製駆逐艦。
つまり、国産の新型はゼロ!
艦隊再建しなきゃならなくなったのがフランス駆逐艦勢でした。
こうして新型駆逐艦が計画されますが、改めて駆逐艦を整備する目的も再検討され、次のために駆逐艦を整備する事となりました。
1:偵察
2:艦隊の前衛
3:通商破壊

なんで駆逐艦で通商破壊なんだ?と思うかもしれませんが、想定される主戦場の一つは地中海ですから、フランスにとっては普通なんでしょうな。
で、
偵察→高い航洋性と快速
艦隊の前衛→敵艦隊前衛を撃破する火力
通商破壊→輸送船を撃沈する雷撃力
というわけで、フランス海軍の戦後の駆逐艦は2000トン級の大型駆逐艦と1500トン級駆逐艦の2本立てで整備していくことになります。
小さいほうでも1500トン!
大きい方の2000トン級の第1陣はシャカル級。2160トン。13cm砲単装5門。55cm魚雷発射管3連装2基6門。速力35kt。1926年就役。特型建造開始の年ですよ!

第2陣第3陣と建造するにつれ大型化。
2000トン級駆逐艦の最終形がモガドル級。2930トン!14cm砲連装4基8門。55cm魚雷発射管3連装2基、連装2基の計10門。速力39kt!1939年就役。もう駆逐艦じゃねぇよ。巡洋艦だよ、これ。

駆逐艦の大型化や強武装は特型からじゃねぇ。イタリア・フランスが本場!特型駆逐艦が各国に影響を与えたわけではないのですよ。




●とはいえオチがあるんですよ。イタリアとフランスですから。
・大型!。快速!。40kt叩き出す奴もいましたが、どーも軽荷状態でのことらしい。中には武装取っ払った状態での速力を『最大速力』にしちゃうやつもいる。なのでこの2国(特にイタリア!)の本当の速力はどうなのか、けっこうみんな悩んでたりする。
・航続力が短い。2930トンのモガドル級でやっと18kt4000海里。2000海里台がごろごろ。いいんだ、地中海狭いし。
・脆い。航洋性はある。大きいから。しかし『耐波性』はない。フランス駆逐艦の内数隻は自由フランス海軍所属になり、大西洋や南太平洋で船団護衛につきましたが、『破損のため長期修理が多く使い物にならず』という記録が多々あります。要は太平洋荒波被って装備品のあちこちがぶっ壊れたんでしょうな。だって地中海専用艦だし。
・大砲と照準がお粗末。フランスの13cm砲、扱い難かったそうです。また記録読むかぎりだと、初期の艦は射撃盤未装備っぽい。
・機関の寿命が短い?1926年就役のシャカル級ですが、1939年頃には30ktがようやく、だったらしいです。たった13年で?どうもフランスの場合(たぶんイタリアも)、機関(ボイラーとタービン)の性能は良くても寿命が短い設計なんじゃないかなぁ?




●イギリス海軍の場合
大戦中にV級W級作ったもんで、大戦終結しても艦齢若いわけでもったいないしで廃棄もできず、1920年代はこれらを使い倒します。
そして1930年頃から更新が始まりますが、基本的にこれまでの駆逐艦のスケールアップ版で1300~1500トン。
そして1934年頃から『なんか重武装の駆逐艦流行ってるよね?』ってことでイギリス海軍も重武装駆逐艦を計画します。
これがトライバル級。条約制限一杯の1850トン。12cm砲連装4基8門。53.3cm魚雷発射管4連装1基。速力36kt。就役は1938年。
トライバル級の建造目的で注目していただきたいのは、あくまで流行している『重武装駆逐艦への対抗』だったことです。航洋性なんて求められてません。
『大型化すれば航洋性が増す?そんな事わかってらぁ!大型化したらシルエットが大きくなるだろうがっ!ボケ!!』
これが海軍の本場、海戦の本場、イギリス海軍の見解。
そして、このトライバル級ですら『艦型が大きすぎる!』と、以降のJ級、K級、N級と1700トン級駆逐艦整備へ移行します。




●日本海軍の場合
ワシントン海軍軍縮条約の結果、主力艦で制限を受けたため、巡洋艦以下の補助艦を強力なものにしようとしたのが日本海軍。
そのため、駆逐艦にとんでもねぇ強大な武装を盛り込むことを計画します。つまり特別な駆逐艦だから特型。
ブログ主の見解としては、航洋性や巡洋艦化というのはあくまで結果であって、最初から求められていたとは思えません。基本コンセプトはあくまで他国駆逐艦を圧倒する重武装。
だってね、1922年の計画案段階では2000トン級だったんですから。
1924年の計画案では1900トン。
最終設計案で1650トン。
なんで小さくなっていったかって?
『大型化すれば航洋性が増す?そんな事わかってらぁ!大型化したらシルエットが大きくなるだろうがっ!ボケ!!』
まさにコレ。
駆逐艦は小さいのは売りなんです。特に夜戦では『ローシルエットのため発見されにくい』のが肝。
だから特型駆逐艦は小型化した結果がアレ、なんですな。
ただし、航洋性が増したのは事実です。
『連装砲塔にするため、幅が必要になった→幅を確保するためフレアをつけた』のが結果オーライになったんでないかな、と。
また艦首にけっこうきつめのシア(上り坂になってるやつ)を付けたことも大きいでしょう。そのかわり艦首方向へ俯角を犠牲にしてます。
『艦首のシア』『前方射界』というのは、『やっぱ日本海軍は歴史の浅い海軍だった』事の象徴と思われ(私見ですよ、もちろん)面白いテーマなので、艦船物語の番外編で書きたいと思います(たぶん)。
なんか脱線しましたが、じゃぁ特型の何が凄いのか?
それは
5in連装砲塔3基6門、3連装魚雷発射管3基9門、これをたった1650トンで収めたこと。
諸外国であれば、1500トン級というのは
5in単装砲4基4門、3連装魚雷発射管2基6門。これが常識。
それなのに特型は150トン増しだけで武装は1.5倍(特型は予備魚雷があるのでさらに倍)。
そりゃあ当時はオーパーツ扱いでしょうなぁ。
そんな特型ですがもちろん欠点もあり、皆様ご存知のトップヘビー、弱い船体強度。
結局大掛かりな改装工事が必要となりました。
そしてここからは私見での欠点ですが『発達余裕無さすぎ!』
1920年代でもすでに航空機の脅威は認識されており、対抗装備が必要とされてましたが、諸外国はちゃんと高角砲(高射砲)を積んだのに対し、特型は主砲の仰角を上げる事で対処してます。だって高角砲積む場所もう無いし!
そしてその主砲は『上に撃てるだけ』砲で高角砲とは言えないものだったのは提督諸兄もご存知かと。
結局第2次大戦中は2番砲塔撤去して機銃を載せましたが、そうすると
1650トンで5in連装2基4門の駆逐艦になるわけで、こと火力だけなら平均的な普通駆逐艦になってしまいます(予備魚雷も降ろしてしまったフネもあると聞きますし)。
やっぱ1650トンであの武装は無理だわ、という結論で今回は〆。

●おまけ。初春型。
ロンドン海軍軍縮条約で大型駆逐艦も規制。じゃぁ1500トン以下で、特型と同等の武装を!
・・・・・・って、絞って無理して1650トンなのに、さらに絞るの無理だろう。
しかし、その無理を通すのが日本帝国海軍のジャスティス!
高さ(艦舷や喫水)と幅を絞るとさすがに航洋性や耐波性に影響がでる。よって、長さを削る!
全長が短くなった分、武装の搭載場所がなくなるが、段違いに装備したりして、上方向に武装を積むようにする。
さぁできたぞう!
・・・・・・・艦舷や喫水そのまま、長さ削って、重いもの上に積んでいったら、
そりゃトップヘビーになるよねぇ。
流石にこれは藤本さん(造船官)やりすぎだと思うなぁ。




さて、海を克服しましたが今度の敵は空からやってきます。
艦船物語 駆逐艦編
次回は駆逐艦の話といいつつ、『やっぱ工業力と科学力とお金だよね』的な話です。


参考文献
第二次大戦駆逐艦総覧(大日本絵画刊)
第二次といいながら、第一次あたりからの『世界中の駆逐艦』を纏めている恐ろしい本。

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2014年4月24日 (木)

艦船物語~駆逐艦編1

艦船物語~駆逐艦編

皆様こんにちは。
前回はのお話で、大戦終盤から現代まで、巡洋艦の終焉のお話でございました。
なぜ巡洋艦は消滅してしまったのか?
そのためには、もう一つのフネの物語、駆逐艦のお話をしなければなりますまい。
というわけで、今回から艦船物語、駆逐艦編のはじまりです。
ではいつもの前口上。

ガチな方はお帰りください。っていうか石投げるのやめて。
基本的に、大まかな流れを浅く緩く短く文章にしてみようかと思いますので、より詳しい事をお知りになりたい方は専門誌なりググるなりしてくださいませ。
それでは、駆逐艦の物語を。




第1回「フネを撃沈してみよう!」




さて諸君!
敵のフネを沈めるにはどうすればよいか?

弾を撃ち込む?
火災をおこさせる?

どちらも間違いだ。
答えは

「浸水させる」
だ。
弾打ち込んでも穴が開くだけだし、火災は構造物が燃えるだけ。
だから沈めるには敵のフネの水線下に穴を開ける必要がある。
この、当たり前の答えが、人類はなかなかできなかった。
喫水線下に穴を開ける武器がなかったから。
そらそうだ。
水面に矢とか石ころなげても、沈んじゃうだけだもの。
なので古代のガレー船時代は

「体当たり」

で敵艦を沈めたわけですよ。
これを衝角攻撃(Ram attack)といいます。
水線下の艦首部を長く突き出した形状にして、敵艦のどてっ腹に穴を開けるわけですな。
さて、帆船時代になるとガレー船のような機動性がない。
代わりに大砲なんてものがある。
しかしだ。喫水線付近に命中させれば、確かに浸水するのだが、そうそう都合よくピンポイントで命中するものではない。
近距離まで近づかないと無理。そして、もっと接近すれば俯角が取れないのでこれまた当たらん。
なので帆船時代は接舷しての切り込みが主流になります(砲撃は人員殺傷とか、構造物破壊の意味合いが強い)。
砲撃→切り込み→鹵獲
これが帆船時代。
なので帆船時代は撃沈にまで持っていくのはそんなに多くありません。
ついでにいうと、戦列艦建造するのってえらい手間隙かかるんで、鹵獲した方がお得だったり。

さて、時代は下がって近代。
大砲に撃たれてもへっちゃらな装甲艦なんてものが出現すると、各国とも頭を抱えます。
どーやって撃沈しよう?
そうだ!蒸気動力で自由自在に動けるんだから、体当たりすればいいんだ!
というわけで、古代の衝角攻撃が復活しましたが・・・・・・
そうは問屋が降ろさなかった。

1、大砲の威力・射程とも向上しているので、体当たりするまで滅茶苦茶に打たれる。
2。相手だって蒸気動力だ。逃げ回れる。

つまり、沈みゃしないが撃たれまくって実質戦闘不能になり、しかも体当たりは避けられる
という事になるわけで。

この結果、当時の装甲艦というものは撃沈不可能と思われる強力な軍艦だったのです。
でも、そこをなんとかしたい。
なんとかできんかなぁ。
必要は発明の母なり。
体当たりは無理でも、爆薬をぶつければいいんじゃないかな?
というわけで、フネの水線下、艦首にながーい棒(約7m)をつけ、その先っちょに爆薬を取り付ける。
ほら、体当たりしなくても敵艦の水線下に穴をあけれるぞ!
これを「スパー・トーピード」といいます。
なかなか便利そうではあるので、ちょっと流行りました(戦果もあります)。
が、すぐ廃れます。
だって、実質体当たりじゃん!確かに直接ぶつかりはしない。距離はある。
でもたったの7m。
これじゃー接近するまで命がいくつあっても足らん。
もっとこう、離れたところから攻撃したい。
具体的には
「爆薬が自分で泳いで行って、敵艦に当たったらいいなぁ」
はい、皆様。魚雷の誕生です。
1868年、ホワイトヘッドというおっさんが「自ら水面下を泳いでいく爆弾」魚雷を作り上げます。
初期モデルが射程約180m、速度約10kt。
たった180mというなかれ。
7mの棒だったのが、一気に180mになったのだ。
後期には射程約750m、速度約15ktに性能向上。
ついに、約1km弱前から敵艦のどてっ腹に穴をあける兵器を手にしたことになります。
この魚雷という兵器はまさに革新的な兵器でして、軽い!小さい!と異色の兵器でした。
大砲というものが何百トン(大和の46cm砲なんて2500トン)もある重量物なのに対して
魚雷発射管(3連装)はたったの約15トン!しかも大砲と違って発射時の反動なんてなし!
1本あたりの値段は高いが(よく例えられるのが、「魚雷1本、家一軒」)、一発当たれば敵艦轟沈も夢じゃない。
そう、数百トンの漁船サイズのフネに、戦艦を撃沈できる装備を施せるようになったのです。
もちろん欠点もあります。
射程が延びたとはいえ、大砲の射程は1万m以上。射点にたどり着くまで撃たれるのは今まで通りですし
射撃結果を修正データとして利用できる大砲と違い、チャンスは1回だけ。もちろん照準が正しくても、相手が避ければそれでお終い。
この長所と欠点を勘案すると、このような兵器と戦術ができあがります。

1:小型の艦艇に魚雷を装備する
2:エンジンは強力にして高速が出せるようにする
3:夜間、小さなシルエットを生かして『低速でこっそり』近づく(もし見つかった場合は高速で突撃)
4:射点にたどり着いたら魚雷をぶっ放し、高速で退避
5:やられる可能性も高いし、魚雷の命中率も高いものではないので、数で押す

この小型快速艦艇を

水雷艇(トーピード・ボート)と呼びます。

この水雷艇、小型だから大量整備可能、しかも一発で戦艦を撃沈できるわけで
フランスはえらく気に入りまして、水雷艇を大量に整備しました。
これに頭を抱えたのが大英帝国。
こんな雑魚みたいなフネなのに、戦艦がやられてしまう可能性が出てきたわけです。
オーシャンネイビーである英国海軍は早速水雷艇対策に乗り出します。
それが水雷艇撃退用の大砲の整備。
1900年頃の英国戦艦の写真を見ると、砲塔の上なんかにちょこんと小さな大砲が乗ってたりします。
あれが対水雷艇用の速射砲。37ミリとか76ミリの大砲で操作軽快な人力装填・人力操作。
ただし!
アレは泊地に停泊している時、水雷艇に襲撃された時に使うものでして、海戦時には使えません。だって主砲の爆風をモロに被るから。
海戦時には5in程度の副砲がお相手します。
しかしながら、速射砲や副砲にしても、それが射撃するということは敵の水雷艇が間合いに入っているorまもなく間合いに入るわけでして、
「もっと遠くで敵水雷艇を防ぎたい」
となるわけで。
じゃ巡洋艦は?
それが困ったことに、当時の巡洋艦は速度が遅いのです。快速の水雷艇に抜けられてしまう。
さてどうすんべ。
これはもう、水雷艇迎撃専用艦を作るしかない。
水雷艇は数で押してきますので、同様に大量整備できるフネが望ましい。
よってこうなる。

水雷艇よりも、若干大きめ。
強力なエンジンで水雷艇と同速かより早い速力。
大きめの船体を生かし、水雷艇よりは強力な火力。

これを
「水雷艇駆逐艦(torpedo boat destroyer)」
と呼びます。
積極的に水雷艇を狩る軍艦です。
そして、誰かが気がつきました。

「水雷艇よりも、若干大きめ。強力なエンジンで水雷艇と同速かより早い速力」

だったら、これに魚雷積んで水雷突撃すればいいんじゃねぇの?

はい、駆逐艦の誕生です。
駆逐艦の誕生以後、水雷艇は事実上消滅します。
駆逐艦はその誕生と同時に、主目的である「水雷艇の駆逐」を達成してしまったのです。
こうして産声をあげた駆逐艦ですが、次の敵が待ち構えていました。
その敵は海そのものでした。

艦船物語 駆逐艦編
次回は駆逐艦の発達史です。

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2014年4月 9日 (水)

艦船物語~巡洋艦編8

艦船物語~巡洋艦編

皆様こんにちは。
前回は条約型大型軽巡のお話で、時期的に第2次大戦直前から大戦に入ったあたりの頃までの出来事でございました。
今回は大戦終結あたりから現代まで、艦船物語巡洋艦編の最終回になります。
ではいつもの前口上。

ガチな方はお帰りください。っていうか石投げるのやめて。
基本的に、大まかな流れを浅く緩く短く文章にしてみようかと思いますので、より詳しい事をお知りになりたい方は専門誌なりググるなりしてくださいませ。
それでは、巡洋艦の物語を。




第8回「巡洋艦の終焉」




●米海軍編

さて、北はバレンツ海、南は地中海、西は大西洋、東は太平洋、世界中の海域で戦争がおっぱじまったわけでございますが、
巡洋艦同士がガチで殴りあったのは太平洋戦域ぐらいなものでした。
日本重巡勢を水上砲戦で撃沈しようとしていた、米海軍予想通りの(夜戦だけど)シチュエーションだったのですが、実戦を経験して得た結論は

「やっぱ6inじゃパンチが足んねぇ!」

確かに攻撃力は奪える(日本重巡の砲塔は装甲25ミリしかない)。しかし、砲撃力のみで日本重巡を撃沈に至らしめることは困難である!というのが米国海軍の戦訓でした。
これが日本重巡であればとどめの魚雷を放てるのですが、米国重巡に雷装は無いのです。
そもそも魚雷性能が低い、というのもありまして、今更雷装復活させて済む問題でもなし。
さてどうすんべ?
よし、確実に日本重巡を砲撃力で撃沈できる巡洋艦を作ろう!
こうしてできたのが、究極の水上砲戦重巡、デ・モイン級。
主砲は55口径8in3連装3基9門。この主砲、Mk16という新型で、自由装填かつ自動装填により毎分7~10発射撃可能。しかも砲弾はSHS(超重量砲弾)らしいので、威力倍増なんてもんじゃありません。
舷側装甲は最大152ミリ、甲板装甲約90ミリ。
速力33kt。
排水量1万7千トン!
・・・
これ、時代が時代なら立派に「戦艦」ですわ(もしくは巡洋戦艦)。
さぁこい日本海軍!と意気込んだものの、できた頃には戦争終結(ていうか、1945年5月起工って遅すぎんだろ)。
もう水上砲戦の時代ではなく、航空機の時代。
大型軽巡も含め、水上砲戦用の巡洋艦は終焉を迎えました。
旧式艦はスクラップ。比較的新型艦でも運用費用がかかるのでやっぱりスクラップ。
そんなスクラップを免れた巡洋艦の第2の人生の道はだいたい2つ。
1つは大きな船体を生かし、作戦指揮艦や旗艦任務、または対空ミサイル搭載艦へ。
もう1つは海外へ売却。
どっちにせよ、これからはミサイルの時代だーっ!ということで水上砲戦巡洋艦は消滅。
そして、ミサイル時代の巡洋艦が登場します。
原子力ミサイル巡洋艦ロングビーチ(USS Long Beach)
排水量1万4千トン。
このロングビーチがアメリカ海軍最後の巡洋艦になりました。
なんでこいつが巡洋艦なのかというと、巡洋艦型船体だから、ですと。
艦尾は角型のトランサム・スターンだしなぁ、とその辺謎なんですが、船体が細長いので、これをして「巡洋艦型船体」
ということらしいです。
ま、とにかくこれで米国の巡洋艦はお終い。
・・・
・・・・・・
え?ベルナップ?タイコンデロガ?
あー、そんなのもいたねぇ。
んじゃもうちょっと語りましょう。

ロングビーチの後も続々とミサイル巡洋艦が就役します。
レーヒ級、ベルナップ級、ベインブリッジ、トラックスタン、カリフォルニア級、バージニア級
こいつら確かに巡洋艦なのですが、就役時・もしくは計画時、ミサイル・フリゲートに分類されてました。
7千トン~1万トンオーバーのフネがなんでフリゲートなのか?
答えは(ブログ主の推測も混じりますが)1800年代初頭の米英戦争のあたりまでさかのぼります。
当時、軍艦(帆船)の種別は基本的に搭載している大砲の数でした。
100門以上=1等艦、90門=2等艦といった具合。実際には74門艦とか64門艦、といった呼ばれ方の方が多いですが。
そして、だいたい28門艦あたりをフリゲート、と呼称しました。戦列艦に比べれば火力は劣りますが、小型・快速の艦隊の便利屋で、偵察や警備活動など雑多な任務に投入され重宝されました。
で、当時の米国ですが独立したばっかりで貧乏ですから、戦列艦なんてとても建造できません。
その代わり、44門程度のフネを建造しました。
フリゲートより火力が大きく、戦列艦より快速。しかも補強材組み込んだりで重防御。
当時の米国海軍はコレをフリゲートと呼称し、しかもこのフリゲートで海戦に勝ってしまいます。
そして以後現代に至るまで、ヨーロッパでは当たり前だった戦列艦というものをまったく保有しなかったのです。
ということで、米国にとってフリゲートという名称はかなり思い入れがあるようで、しかもその認識が小型快速艦(駆逐艦や巡洋艦)より大型で、大型戦闘艦(戦艦)より小さい艦種、というものになってしまったようなのです。
さて、時は戻って1950~60年代。
これからはミサイルの時代だぜ!
当時の米海軍にとって、対艦・対空・対潜の3つで一番重要度が低いのが対艦。だって空母機動部隊持ってるし。
そして対潜については原潜や対潜装備の開発で対応できるとして、問題となったのが対空でした。
なにせ時はジェット機時代。ソヴィエトがわんさか攻撃機を送り込んできた場合、第2次大戦時の砲熕兵器主体の対空システムでは対応できないと判断されていました。
よって、まず対空システムをミサイル化するのだぁ!
どしどし対空ミサイルシステム艦を作るべし。
こうして作ったミサイル艦なんですが、駆逐艦系統から設計されたフネもあれば、新規で設計されたフネもありまして、
下は4千トン代から上は7千~1万トンぐらい。
して、このミサイル艦をなんと呼ぶか?
駆逐艦でもない、今までの巡洋艦でもない、これは新時代のミサイル艦
「フリゲートであるっ!」
・・・・・かつてのフリゲートの栄光再びとばかり、よっぽど期待が大きかったんでしょうねぇ。
たとえばリーヒ級ミサイル巡洋艦(満載で7800トン)は元々はリーヒ級ミサイル・フリゲート。
しかしながら、米海軍のフリゲートに対する思い入れなんてローカルな要因が世界的に受け入れられるわけがなく

「駆逐艦なら我慢もするが、7千トンオーバーのどこがフリゲートじゃぁ!」

とツッコミまくられ、後日「巡洋艦」に艦種変更されました。
ヨーロッパ基準で言えばフリゲートは駆逐艦より小さい艦種ですから。
わかりやすく例えると

米 「新素材のゴアテックスでゴムボート作ったぞ!これをメガ・クルーザーと呼ぼう!」
英 「いや、ゴムボートはゴムボートだから」

という感じになるかと。
なんかえらい話が長くなってしまったのですが、このようにロングビーチ以降の巡洋艦は
純然たる巡洋艦ではありません。ミサイル・フリゲートからの艦種変更組なのです。
そして、どうもこのあたりから米海軍の新しい認識が出来上がったようで

「うむむむむ。フリゲートはだめかぁ。しかたない、対空が主任務で、ミサイル艦で、値段が高くて、大きいフネは巡洋艦と呼ぼうかあ」

という事になったようでして、
イージス艦として有名なタイコンデロガ級巡洋艦、こいつ巡洋艦といいながらスプールアンス級駆逐艦の船体流用です。
まさに「空が主任務で、ミサイル艦で、値段が高くて、大きいフネ」だから巡洋艦。

というわけで、いわゆる「海の便利屋=巡洋艦」というのは米海軍では存在しないのです。
一応、タイコンデロガ級の後釜としてCG-X(次期巡洋艦構想)というのがあったのですが、同時期に進められていたDD-X(次期巡洋艦構想)よりで統合され、次期巡洋艦はキャンセル。
名実ともに巡洋艦は消滅してしまったのでした。

たーだーしー
DD-Xはズムウォルト級ミサイル駆逐艦として建造中なんですが、ブログ主は
「こいつ、就役後に巡洋艦に艦種変更されるんじゃないか?」と睨んでます。
だって
「たった3隻のみ、1万5千トン、値段クソ高い」
なんですもの。




●ソヴィエト海軍編

スヴェルドルフ級(68bis型)が戦後巡洋艦のスタートになります。
戦後設計で、なんと水上砲戦巡洋艦を、それも14隻も作るというなんだか良くわからない国家それがソヴィエト。
もちろん作った後は米海軍と同じで、作戦指揮艦だとか、ミサイル積んでみたり、ヘリ搭載してみたり。
そしてスターリンからフルシチョフに代わると
「時代はミサイルだがや、ミサイル!」
と。このあたりは米海軍と似たり寄ったりなのですが、その後が面白い。

フルシチョフ 「時代はミサイルだがや、ミサイル!」
ソヴィエト海軍 「ですよねー」
フルシチョフ 「でも、ミサイル積めればいいんだから、原子力潜水艦と航空機に積めばいいんじゃないかな?」
ソヴィエト海軍 「ちょっwwwおまwwww水上艦隊なくなるっつーのwww勘弁www」
フルシチョフ  「しゃーねーなー。じゃちょっとだけ巡洋艦作ってよし」

というわけでキンダ級(58型)。満載で約5500トン。建造数たった4隻。主目的
「どーだー、ソヴィエトの軍事力は世界いちぃぃぃぃ」
と外国に行って見せびらかすこと。

ある意味、正統派の巡洋艦ですな。ソヴィエト艦にしては積極的に外洋に出て軍事プレゼンスにあたったのですから。
で、その後からがよくわからん。
クレスタⅠ級(1134型)、クレスタⅡ級(1134A型)は基本的に対潜艦。実際ソヴィエト側呼称は「大型対潜艦」だしなぁ。
続くカーラ級(1134B型)も対潜艦。
モスクワ級ヘリコプター巡洋艦(1123型)はソヴィエト側呼称も「対潜巡洋艦」。うん、これは巡洋艦だな。1万2千~4千トンもあるわヘリ14機も搭載するわ、対潜特化の大型ヘリ搭載艦という事に目を瞑れば。まぁ世が世なら「航空重巡」と呼ばれたかもしらんなぁ。
続いてスラヴァ級(1164型)
「対潜特化ばかりしてたけど、その分、対艦弱くなってね?」で建造された巡洋艦。
こいつは確かに巡洋艦だ。なにしろ基本構想は「打撃巡洋艦」である。あらやだかっこいい。
モンスター対艦ミサイルP-500(のちにP-1000)16発。*エル(Р)じゃないよピー(P)だよ。ロシア語表記でП-500
もちろん広域対空も対潜もこなせる。満載でも約1100トン。
3番艦にいたっては、ロシア伝統の巡洋艦用の艦名「ワリヤーグ(Варяг)」を名乗るなど
確かに巡洋艦ですなぁ。
ソヴィエト崩壊で3隻しかいなけど、使い勝手良し性能良しで3隻は今でも健在。旗艦任務についたりで活躍中。

どうもソヴィエトの場合、対艦ミサイル重視になれば「巡洋艦」になるっぽい。
ただし、今後巡洋艦建造計画はないため、スラヴァ級が最後の巡洋艦になるでしょう。
ソヴィエト/ロシアでも巡洋艦は消滅しつつあるのです。
・・・・
え?
アレですか?
・・・
そうですね、一応巡洋艦ですから、最後にアレも触れておきましょう。

キーロフ級(1144型、11442型)
排水量、実に約2万5千トン!
そのアホみたいな大きさから巡洋艦ではなく「巡洋戦艦」扱いになる場合もあります。ロシア呼称でも
「”重”原子力ロケット巡洋艦」(ロケット=ミサイル)と呼ばれております。
そもそも、なんでこんなでかい巡洋艦が生まれたのかというと
大元はフルシチョフ時代までさかのぼります。

「これからの時代は原子力だー!」

ほら、フルシチョフのおっさんって基本新しいもの好きなので、原子力潜水艦、原子力対潜艦、原子力防空艦と作りまくろうと。
原潜はいいとして、問題は原子力水上艦。建造コストが高い高い。原子力対潜艦は結局通常動力となり、モスクワ級やキエフ級としてカタチになっていくのですが、問題は原子力防空艦。
まず、昔は原子炉の出力が低かったもんで、どうしても大型艦になってしまう。そこで設計段階でやむなく排水量の制限を取っ払ったら、「じゃぁついでにあれもこれも積もう」と大型化。そこにモンスター対艦ミサイルP-700が完成したもんで「こいつ積もうぜ!」って事に。排水量は2万トンの大台を突破。結果、多数建造は不可能に。そうすると高価で貴重なフネが一発のミサイルで沈んではならんと、装甲を貼る事に!その結果が約2万5千トン。
しかし時代が悪かった。できたと思ったらソヴィエト崩壊。ついでに1番艦2番艦は初期不良出まくり。
1番艦はろくすっぽ動かず除籍(ただし保管中)。2番艦も保管中ですがもう何十年も動いてません。4番艦ピョートル・ヴェリーキイのみが現役稼働中。
ロシア人にとってもキーロフ級は思い入れがあるようで(でかい!かっこいい!美しい!強い!)以前から1番艦~3番艦までオーバーホールして現役復帰する話は何度かあったのですが、その度にお金が無いと計画延期だの断念だの。
しかし、3番艦アドミラル・ナヒモフ(旧名カリーニン)はようやくオーバーホール兼近代化改装にはいるようで、予定では2018年にはアドミラル・ナヒモフが現役復帰、代わりにピョートル・ヴェリーキイが2018年から近代化改装らしいです。
・・・艦齢何年よ?w
海軍力の象徴扱いなんだろうなぁ、やっぱ巡戦だわ。




●英国海軍編
巡洋艦王国英国海軍ですが、大戦後の巡洋艦は・・・
なんと無い!
それじゃ可哀想なのでちょいとだけ。
一応タイガー級軽巡洋艦ってのがあります。
元々はマイノーター級軽巡洋艦(その元はコロニー級でその元はタウン級で、と遡ればご先祖は1930年代のリアンダー級だ)として建造中だったもの。それが大戦終結で工事中止。しかし防空艦が欲しくなったようで、1955年にタイガー以下3隻が工事再開。新型のMK26両用砲を搭載し、強力な防空艦として就役。
しかし、毎度おなじみ「これからの時代はミサイルだー」でタイガーとブレークのみシーキャット対空ミサイルを搭載に改装。また後部砲塔撤去しヘリコプターを搭載。
しかしながら大元は大戦中の軽巡なわけで、1970年代には退役になりました。
ええ、もちろん新しい巡洋艦の計画はありません。




●まとめ
使い勝手がよい、便利な艦種である巡洋艦。
海軍といえば巡洋艦だったのに、今や巡洋艦という艦種はなくなってしまいました。
巡洋艦王国英国海軍などは、戦後巡洋艦の建造すらしておりません。
なんでこんな事になっちゃったのか?
それには、もう一つのフネ「駆逐艦」をご紹介する必要があるのです。

というわけで、次回からは艦船物語 駆逐艦編です。

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2014年2月 4日 (火)

艦船物語~巡洋艦編7

艦船物語~巡洋艦編

皆様こんにちは。
Верный最高だせぇぇぇぇl!な底辺提督ですこんにんちは。
前回はカテゴリーA、いわゆる重巡のお話でしたが今回はカテゴリーB、軽巡とその他のお話です。
今回の記事書くにあたって、日米英の各級の建造ー就役の年表作ったんですが、悲しくなりましたわー。
英米だと重巡建造に約4年、軽巡建造に約3年なんですが、日本の場合重巡で約5年・・・・・・。
基礎工業力の差がモロにでてますなぁ。よくこれで戦争おっぱじめたもんだ。
ではいつもの前口上。

ガチな方はお帰りください。っていうか石投げるのやめて。
基本的に、大まかな流れを浅く緩く短く文章にしてみようかと思いますので、より詳しい事をお知りになりたい方は専門誌なりググるなりしてくださいませ。
それでは、巡洋艦の物語を。




第7回「条約型巡洋艦とその他(Heavy Cruiser,Light Cruiser & other Cruiser)」その2




ちょいと長い前書き

日米英のうち、日本の古鷹型が重巡のトップバッターなのは当然ですが、次に動いたのは英国でした。先の大戦前に建造した装甲巡洋艦が老朽化しており、至急代替が必要だったのです。
日本が妙高型4隻つくるぞーという頃の1924年から1931年まで、ケントからエクセターまでの15隻を一挙に整備、重巡枠を一杯にします。
日本はまだ妙高型4隻の整備が終わった頃、古鷹型4隻あわせてまだ8隻しかないというのに・・・・。
一方の米国はというと、実にマイペース。オマハ級作った後だし、条約型重巡なんてよくわからんものはゆっくり建造でいーやぁ、という事なんでしょうな。
1926年から1930年までペンサコラ級2隻しかできちゃいません。1928年にノーザンプトン級6隻の建造が始まりますが、全艦就役が1931年。
日本の高雄型4隻は1932年就役ですから、面白いことに1932年に日本重巡勢は一時的に数的優位に立っていた事になります(日本12隻、米国8隻)
ちょいと話が脱線しましたが、何が言いたいかというと、重巡枠を使い切り、軽巡建造に入ったのは英国が最初なんです。
なにせ世界中に権益を持ってるもんで、とにかく巡洋艦の数を揃えたい。重巡なぞホントは作りたくない。
というわけで、1931年に条約型軽巡リアンダー級5隻の建造を開始します。建造開始時期に差があるので全艦就役1935年までかかってますが、基本的に1隻約3年で完成してます。途中の1933年からは改良したパース級3隻を建造開始。これも1935年就役。
特徴としては、これまでの軽巡の細長い船形からちょい幅広い船形になりました。重巡エクセターの線図流用したっぽいです。
ボイラーの改良により多少船幅が広かろうが速度は32kt出せるし、船体が大型になったので主砲も6in連装砲塔4基8門搭載になりました。航洋性も良く、砲撃力もあり、速力も出るまさに万能艦。これぞ巡洋艦。後継のパース級はさらにボイラー強化したぶん、ボイラーの数を減らしただけなので、改リアンダー級ともいうべきものでした。
このリアンダー級が1930年以降の英国巡洋艦の原型になります。
また、パース級建造と同時にアリシューザ級軽巡も建造を開始します。こっちは砲塔1個減らして6in連装3基6門にした廉価タイプ。第1次世界大戦で疲弊した英国にとっては、リアンダー級でもまだ値段が高い、と。
ということで、英国としてはこのリアンダー級廉価タイプのアリシューザ級軽巡が主力になる・・・・・・・はずでした。
ところが、空気の読めない極東の某島国帝国がやらかしてしまうんですなぁ。








●条約型大型軽巡洋艦
日本海軍が欲しいのは重巡!
だがしかし、もう重巡枠は使い切ってしまった。これから先作れるのは軽巡のみ。
でも重巡欲しい。なんとかしたい、なんとかならんかなぁ。

軍令部  「なんとかしてください」
艦政本部 「じゃ、6inたくさん積んだ僕っ娘なんてどうでしょう?」

というわけで、6in砲3連装砲塔5基15門の最上型。大型軽巡と呼ばれるカテゴリーの誕生です。

日本 「軽巡です」
英米 「じゅっ、15門!!その重武装のどこが軽巡じゃぁ!」
日本 「1万トン、ちゃんと6in砲搭載。いったい ど こ に 問 題 が ?」
米英 「ぐぬぬぬぬぬ」


この頃の米国はポートランド級2隻とニューオリンズ級7隻をだらだらと建造中。
そこに日本海軍のスーパー軽巡誕生の報告が来たもんで、対抗して1935年からブルックリン級(6in3連装砲塔5基15門)9隻を建造開始。
ついでに、この船体をちょいと拡大して新型8in3連装積んだらどないだ?と重巡ウィチタの建造も開始。
ニューオリンズ級7隻を建造中に、です。
これだから金持ちは・・・・

もう一方の海軍国英国は一番とばっちりを受けた口でして。
さーこれから低コスト軽巡アリシューザ級作りまくるぞー!(同時にリアンダー系列も整備中)、というところに
日米の大型軽巡の報告が来て、泣く泣くおつきあいで大型軽巡を整備することに。
リアンダー系列建造中の1934年からサウサンプトン級5隻を建造開始。
それでもコスト下げたかったようで、こいつだけ6in3連装砲塔4基12門。

で、その大型軽巡ですが、いざ作ってみると

「これ使い勝手いいねぇ」

と各国で高評価(アリシューザ級は艦隊側から火力足んねぇ、とあんまり評判はよくなかった)。
6inは射撃速度が速いし取り回しもいいし、多数砲門装備で火力はあるし、船体が大きいんで航洋性もあるし。
こうしてロンドン海軍軍縮条約以後、軽巡といえば大型軽巡の時代になってしまったのでした。

つーわけで、米国はその後船体を一部改良し、砲塔1基減少させた代わりに対空装備を拡大したクリーブランド級の大量整備を計画。
その数、実に57隻!(実際に完成したのは27隻。また9隻はインディペンデンス級軽空母として完成。合計して36隻!もちろん月刊エセックスや週刊カサブランカを建造したり、M4シャーマン5万両作ったり、B-17を1万2千機作ったりしてる時に)

英国もサウサンプトン級系列(総称してタウン級)建造を継続。条約明けも船体を縮小したコロニー級系列を大量整備。英国最後の巡洋艦であるタイガー級もこのコロニー級系列でした。




まとめると、
重巡の船体縮小して軽く6in積んでお手軽軽巡を作ろうとした英国
重巡の船体に6in山盛りにしてお手軽重巡を作ろうとした日本
両者の建造開始時期からして両者とも似たような事考えたのか、日本が英国の情報つかんだのか、微妙なところではありますな。
そして、「なんかよくわかんないけど、うちも作るー→結構いい感じなのでもっと作るー!」とバカみたいに量産したアメリカ。
という事になるかと。
せっかくですので、その後日本が作った軽巡もひとつ。
流石に5500トン型ももうお婆ちゃんだべ、と久しぶりに作ったのが阿賀野型。
その実態は・・・・
明らかに船体過小。発達余裕なし。小さいくせに航空装備求めたもんだから、フライング・デッキに装備する羽目に。
そして火力が足らない。6in連装3基6門。低コスト軽巡アリシューザと変わらん。
しかもこの6in、最上型に装備したものではなく、これまで金剛型で副砲として使っていた6in単装を連装に一部改良したもので人力装填。たぶん実質的な火力はアリシューザ以下。対空火力はというと、秋月型の長10cmを小型化した新開発8cm高角砲(実際は76.2mm)。これがまた長10cmと比べると威力が足んねぇ、なのに値段は変わらん、と散々な評価。
ぶっちゃけ、失敗作です。
なんでこんな事になったのかと言えば、

「条約から脱退したんだし好き勝手作ろう→金がない→とにかく安く作ろう」

というわけで、要はみんな貧乏が悪いんや、と。
いつもの大日本帝国でした。








●防空巡洋艦(Anti-Aircraft Cruiser)
英国海軍の伝統的任務はもちろん海外の権益保護、通商路保護ですが、もう一つ「大陸にちょっかいかける」というものがあります。ところが飛行機なんつー無粋なモノが出現してしまい、大陸に近づくと、砲台から攻撃されるより飛行機で爆撃される可能性が出てきました。
最初は高角砲ちょろっと載せて対抗したんですが、航空機の性能があがるにつれて「これではやばくないか?」と危機感を持つようになりまして、当時老朽化しつつあったC級巡洋艦を改装、高角砲大量に載っけて「防空巡洋艦」なる新艦種を作りました。
これは良いものだ、と評判も良く「じゃぁ新規設計で防空巡洋艦とやらを作ってみるか!」と意気込んだのが防空巡洋艦ダイドー級。5.25in連装両用砲5基10門。
これだけ見るとなんか凄そうなんですが、実はいろいろ問題がありまして

・アリシューザ級の線図流用のお手軽設計らしいんですが、肝心の5.25in連装両用砲の生産が間に合わず、後期艦では4基に減少、また2隻はそれすら間に合わず駆逐艦用の11.4cm高角砲4基に。駆逐艦の対空火力と変らん。
・その両用砲、旋回速度が遅く、人力装填のため射撃速度が遅い。

ホントに防空艦かお前は?
という内容でございました。
一応弁護しておきますと、それでも強力な艦隊防空力を提供できるのは本級のみでしたし、大戦中は地中海戦域で活躍しております。
ここからはブログ主の個人的推測なんですが、肝心の両用砲はどーも対水上戦闘にウェイトを置いた大砲らしいんですな。
そして船形はアリシューザ級類似。これはコストも設計期間も縮めたかったんでしょう。
そして魚雷装備、という事を考えると
防空艦として整備はするが、その実、大型軽巡を補完する為にアリシューザ級の正統的後継者としての性格も持ってたんではないかなぁ、と。

さて話がずれましたが、ダイドー級に刺激を受けたか、米国もアトランタ級を建造します。5in両用砲連装8基16門!
米国の両用砲は英国と違いマジな両用砲でしたので、絶大な防空火力を艦隊に提供しました。

ただねぇ、これもブログ主の個人的推測なんですが、本当にこれ防空艦か?と。
どうも元来は嚮導艦として計画されたようで(なんせ魚雷を装備しておる)、日本の軽巡のように、群がる日本駆逐艦を叩き潰すために多数の5inを装備したのではないか?と。でせっかくの両用砲なんだし、防空任務でも使えるように設計したらああなったんではないかなぁ、と。

最初っから純粋に防空艦として設計・建造されたのは1945年起工のウースター級。
戦訓から
「5inでは射程がたらん。威力も足らん。もっと強力な防空火力が欲しい」
というわけで、6in両用砲という化け物みたいな大砲を連装6基12門も積んだ怪物です。
ピンと来ない方は
「150mm高射砲12門積んで、時速60kmで動き回る洋上機動砲台」として考えれば化けモノっぷりがわかるかと。
とにかくスペックは凄いんですが、時代はすでにジェット機時代。攻撃方法も爆弾から誘導ミサイルの時代になっておりまして、。大口径高角砲はかえって邪魔。早期退役になってしまいました。
そして防空専用艦は別のフネが補う事で、防空専用巡洋艦はその短い生涯を終えました。
え?イージス艦ですか?
では、その辺も含めて次回は巡洋艦編最終回、大戦後半から現代の巡洋艦、そしてその消滅までです。

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2014年1月19日 (日)

艦船物語~巡洋艦編6

艦船物語~巡洋艦編

皆様こんにちは。
燃料の消費量に泣かされている底辺提督ですこんにんちは。
前回は「軽巡古鷹型」が登場し、各国から「どこが軽巡じゃぁ!」とツッコミが入ったところまででした。
その結果、ロンドン海軍軍縮条約が締結され、補助艦枠についても規制が入ることとなりました。
今回はその始まりから第2次大戦が始まるまでの物語です。

・・・あ、ガチな方はお帰りください。っていうか石投げるのやめて。
基本的に、大まかな流れを浅く緩く短く文章にしてみようかと思いますので、より詳しい事をお知りになりたい方は専門誌なりググるなりしてくださいませ。
それでは、巡洋艦の物語を。




第6回「条約型巡洋艦(Heavy Cruiser&Light Cruiser)」その1


さてさて、これではまた建艦競争ではないか!とロンドン海軍軍縮条約にて補助艦を規制しようとしたのですが、問題になったのが巡洋艦の曖昧さでした。
だってねぇ、「航洋性が高く、使い勝手がいいフネ」なんてもの明確に定義できないもの。
そこで巡洋艦を2つに分けることにしました。
まず、先のワシントン海軍軍縮条約で巡洋艦は「1万トン以下で8in以下の大砲を積んだフネ」と定義されたのをそのまま利用します。
これがカテゴリーA
続いて、当時巡洋艦といえば軽巡洋艦。そして6in砲搭載が主流。この現状を利用し、6in砲搭載艦をカテゴリーB
そして下限排水量も1850トンとされました。
ではまとめましょう。

カテゴリーA
基準排水量1850トン~10000トンで、8in砲を搭載するフネ
これを重巡洋艦(Heavy Cruiser)と呼びます。何が「重」なのかというと
カテゴリーBより重武装だから。
この規定により「軽巡古鷹型」は「重巡古鷹型」になりました

カテゴリーB
基準排水量1850トン~10000トンで、6in砲を搭載するフネ
これを軽巡洋艦(Light Cruiser)と呼びます。重巡より軽武装だから。
さぁ、こっからちょっとややこしいです。
この規定により
「球磨型軽巡洋艦」は「かる~く装甲貼りました巡洋艦」かつ「重巡より軽武装な巡洋艦」となります。
流石にこれではややこしいため、
ロンドン条約以降に建造された巡洋艦を「条約型巡洋艦」と総称し、かつ軽巡は「条約型軽巡洋艦」となります。
とにかく、これで規制ができて建艦競争も落ち着くか、と思われたのですが、そうは問屋が下ろさない。
自動車レースでいえばレギュレーションが決まったようなもんでして、ここから先「規定以内でどんな巡洋艦を作れるかコンテスト」状態になってしまったのでした。




それでは、日・米・英の重巡建造を見てみましょう。

●日本
仮想敵を米国とした事が間違いの元ではあるのですが、とにかく米海軍に勝たねばならぬ、というので作ろうとしたのが八八艦隊計画。
ところがワシントン条約で八八艦隊計画は瓦解。海軍は米国に対し(戦艦戦力で)常に劣勢になるわけです。どうせ勝てないなら仮想敵から外せばいいんじゃね?と思いたいところですが、そうすると日本海軍の存在理由まで問われてくるわけで、なんとか勝たねばならぬ、と立案されたのが漸減作戦。
進攻してくる米艦隊に対し、潜水艦や陸攻でちまちま攻撃して米艦隊の戦力を削り、艦隊決戦の前夜には第2艦隊総力をあげて夜戦を敢行しさらに米艦隊の戦力を低下させ、戦力が同等になった翌朝には第1艦隊も参加して艦隊決戦を挑む!
これが漸減作戦と呼ばれるもので、以後の建艦計画の骨子になっていくわけで。
まず漸減作戦で重視されていたのは第2艦隊の夜戦でした。これは潜水艦や陸攻によるちまちました攻撃ではなく、艦隊ごと敵輪形陣に突入し、敵戦艦の撃沈を狙った大規模夜間突入作戦で、これにより翌日の艦隊決戦を最低でも対等に、できれば優位に立とう!というわけです。
敵の駆逐艦が妨害に出れば我が軽巡が、敵の軽巡が妨害にでれば我が重巡が叩き潰し、巡洋艦以下全艦が敵戦艦へ向かっても必殺の魚雷を叩き込む!
日本海軍の重巡は基本このために存在します。
と、いうわけで
日本海軍の重巡には雷装必須!そして射点にたどり着くまで沈んではならん!というわけで重防御。
だれだー、日本は防御軽視なんて言った奴。
妙高型なんて舷側102ミリのテーパード・アーマー。弾薬庫にはさらに76ミリ。列強随一だぞ。
その代わり砲塔は軽装甲で25ミリしかなく、スプリンター防御にしかなりません。
いーんです!砲塔の1基や2基。魚雷が撃てればそれでいーんです!
これが日本の重巡洋艦。
実は基準排水量1万トンオーバーなんですが、その辺のサバ読みはどの国でもやってたので特に問題にはなってません。




●米国
巡洋艦といえば艦隊の前衛!偵察活動!相手となるは日本海軍巡洋艦!
というわけで、お金持ち国家米国が巡洋艦で戦艦に雷撃するシチュエーションなぞ浮かぶわけもなく、日本重巡を相手に砲撃で勝つためのフネを必要としました。
舷側装甲64ミリ~76ミリとやや薄めですが
「攻撃力を失ったらなんもならんではないか!」ちゅーことで
砲塔にも64ミリの装甲を貼ってます。
可もなく不可もなく、とにかく手堅くまとめた巡洋艦、それが米国重巡。
たーだーしー、お金持ち国家のフネにしちゃ居住性よくなかったんですと。




●英国
世界中に権益を持ち、長大な通商路を保護する必要がある英国にとって一番欲しいのは、とにかく数を揃えられる軽巡。
だがしかし。世界の国々は重巡を競って整備するもんだから、お付き合いで重巡も整備しなきゃならん、っつーわけで、そんなロイヤル・ネイビーが作った重巡とは?
艦舷が高く、いかにも居住性の良さげな大型の優美な船体、これが8in砲連装4基8門搭載のカウンティ級。
まさに巡洋艦。世界中のいかなる海へ、いかなる気象条件でも航海することができました。
そんな英国重巡の装甲とは?
・・・舷側わずか25ミリ。
スプリンター防御にしかなんねぇ・・・orz
流石に「コレまずいだろ?!」って事で後日改装、多少は装甲厚くしたようです。
これだけだとダメ重巡っぽいので、一応いいところも。
船体が大きいので予備浮力たっぷり。そのためオーバーキル的な火力とか、クリティカルヒットを受けなければなかなか沈まないのが英国巡洋艦だったり。
小説ではあるのですが、A・マクリーンの小説「H.M.S ULYSSES(女王陛下のユリシーズ)」に出てきた巡洋艦スターリングの最後はまさに英国巡洋艦の最後でしょう。
その英国、第二次大戦では文字通り世界中の海域に巡洋艦を派遣、まるで駆逐艦のように使い潰しました。
まさに巡洋艦王国の面目躍如。




さて、次回はカテゴリーB、いわゆる軽巡とその他の予定です。

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2013年12月23日 (月)

艦船物語~巡洋艦編5

艦船物語~巡洋艦編

皆様こんにちは。
ボーキサイトの消費量に泣かされている底辺提督ですこんにんちは。
前回は巡洋艦が巡洋戦艦に発達し、その巡洋戦艦も消滅してしまったところまででした。ちょうど第1次世界大戦終了後あたりまで、となります。
ここで一旦時計の針を少し戻しましょう。
今回は1910年頃から今回の物語のスタートです。

・・・あ、ガチな方はお帰りください。っていうか石投げるのやめて。
基本的に、大まかな流れを浅く緩く短く文章にしてみようかと思いますので、より詳しい事をお知りになりたい方は専門誌なりググるなりしてくださいませ。
それでは、巡洋艦の物語を。



第5回「軽巡洋艦(Light Protected cruiser)」

さて、装甲巡洋艦というものが登場しましたが、これがお値段高くて貧乏国では揃えるのに難儀するフネであったのは以前ご紹介したとおり。
お金持ちの大英帝国でも多数整備しましたが、それ以上に世界中の権益を確保するため大量の巡洋艦が必要であり、安くて使い勝手のいい巡洋艦が求められていました。
「以前の防護巡洋艦はよかったよねぇ。あーゆーフネ欲しいよねぇ」
しかし、その防護巡洋艦では防御力不足であり、じゃ装甲貼ろうや、って事にしたら装甲巡洋艦になるわけで。
そこで当時の提督たちは開き直ります。

「そもそも巡洋艦に十分な装甲を持たせるのが間違いなんや。装甲はかるく貼ればええ、駆逐艦の砲撃に耐えればええ!」

「かる~く装甲を貼ってみました」巡洋艦
はい、軽巡洋艦の誕生です。
かる~く、といいましても水線部以外も装甲甲板もありますし、防護巡洋艦より防御力はあります。
こりゃいいや使い勝手いいし安いしイイネ!ってことで
巡洋艦といえば軽巡洋艦の時代が到来しました。
一般的にイギリスのアリシューザ級あたりが本格的な軽巡洋艦の始まりとされています。

日本海軍でいうと、そのアリシューザ級を参考に建造した天龍姉妹が始まりになります。
しかし3500トンではいかにも余裕に乏しい、小さすぎという欠点もあり
5500トン型軽巡洋艦の整備に移行します。
それがクマーとか艦隊のアイドルさん達です。

さて、1910年代から1920年頃までは軽巡洋艦といえばバカの一つ覚えのように世界各国同じようなデザインでした。いや、このデザインにしかできないというべきか。
まず、高速性能発揮のため、船体は細いです。
そこに強力な機関、つまり多数のボイラー装備のため細長く、そこに3~4本の煙突。
機関出力については戦艦より大馬力で、ギアードタービンにより28kt~35kt近くを叩き出します。
武装はどいつもこいつも6in(日本の場合14cm砲)砲で。だいたいが単装で計6門程度。
1920年頃まで軽巡洋艦といえばこのスタイルでしたし、巡洋艦の主流でした。

さてさて。
第1次世界大戦も終わり。あー平和が一番だというのに、海軍の建艦競争は一層ヒートアップ。これでは国が傾いてしまう!というわけで、
ワシントン海軍軍縮条約が締結の運びとなりました。
内容はぶっちゃけ主力艦たる戦艦の規制なんですが、この時「巡洋艦の定義」も行われました。
すなわち、巡洋艦とは1万トン以下で、6in以上8in以下の大砲を搭載するフネ、と。
なんでこんな規制というか定義する事になったのかというと、
せっかく戦艦を規制したのに
「15in連装2基4門搭載の軽巡洋艦」だの
「18in単装2基2門搭載の軽巡洋艦」だの
わけのわからぬフネを建造されてはたまりません。
つまり、条約から逃れるフネを規制するため「こっから上は戦艦。こっから下は巡洋艦」の定義がされた訳です。

その頃極東の某島国帝国では。
軍縮条約で戦艦枠では不利になったことから、補助艦枠で少しでも戦力の足しにしようとあがいておりました。

さて、大事なことなのでもう1度書きます。
当時、巡洋艦と言えばかる~く装甲を貼ってみました巡洋艦=軽巡洋艦の時代。
そしてその内容は、武装はどいつもこいつも6in(日本の場合14cm砲)砲で。だいたいが単装で計6門程度。

ほっほうぅ。
だったらこんなのはどうだ?

基準排水量7,950トン、8in単装砲6門の軽巡洋艦

これが「軽巡古鷹型」。誤字ではありませんよー。軽巡です軽巡。
はい、そこの提督様。あなたが手に入れたのは「重巡」ではございません。
立派な「軽巡」でございます。
それがなんで「重巡」なのか?
それはこんなやりとりがあったのですよ。

日本 「どこをどうみても軽巡でございます」
米英 「それのどこが軽巡じゃあ!」
日本 「おや?巡洋艦とは6in以上8in以下の大砲装備のフネでございますよ?いったいどこに問題が?」
米英 「ぐぬぬぬぬ・・・・・・ええい!補助艦も規制じゃあ!」

というわけで、次回は条約型巡洋艦のお話です。



※わかりやすさ&面白さ優先なので、かなり端折ってるというかいろいろ省いてます。
また
「15in連装2基4門搭載の軽巡洋艦」
「18in単装2基2門搭載の軽巡洋艦」
この2つのフネは恐ろしいことに実在します。
ハッシュ・ハッシュ・クルーザーで調べると楽しいかと。
ちなみに、こんな変なフネを作ったのはイギリスのシャアさんことフィッシャー提督だったります。

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2013年12月 8日 (日)

艦船物語~巡洋艦編4

艦船物語~巡洋艦編

ボーキサイトの消費量に泣かされている底辺提督です皆様こんにちは。
ここまで、装甲帯巡洋艦とか防護巡洋艦とか、提督の皆様には
「なにそれ?」な話続きだったわけですが、今回からようやく、少しだけ艦これに絡みます。
ただし、巡洋艦の物語といいつつも、巡洋艦史からは番外編的な扱いになってしまうのですが。
今回は前回予告したとおり、近代海軍史上最も美しく、薄命に終わった海の女王の物語を。

・・・あ、ガチな方はお帰りください。っていうか石投げるのやめて。
基本的に、大まかな流れを浅く緩く短く文章にしてみようかと思いますので、より詳しい事をお知りになりたい方は専門誌なりググるなりしてくださいませ。



第4回「巡洋戦艦(Battle cruiser)」

20世紀初頭、大英帝国海軍に1人の提督がおりました。
彼の名はジョン・アーバスノット・フィッシャー。
彼には明確なコンセプトがありました。
そして、そのコンセプトに沿って建造した2隻の船はこれまでの海軍史を塗り替えるものになったのです。
まず、1隻は戦艦ドレットノート(HMS Dreadnought)。
当時の戦艦は12in砲4門を主武装とし、そこに中間砲やら小口径速射砲を沢山積んだ、いわば動く海上要塞のようなものでした。これだと弾着観測が不便とか、そもそも艦隊戦で副砲いるか?とか、射撃距離伸びてきてるのに、主砲4門では不足とか色々ありまして、将来の戦艦は大口径主砲のみを積んだものになるだろう、といわれてました。単一巨砲理論というやつです。
フィッシャーは単一巨砲理論に基づく戦艦を建造するのですが、そこに彼のコンセプトを反映させました。
そのコンセプトとは
『速度こそ命!』
こうして誕生した戦艦ドレットノートは怪物でした。
12in砲10門、速力21kt。
既存の戦艦に対して速力でも砲力でも圧倒できるのですから、一夜にして既存の戦艦は旧式戦艦と成り果ててしまいます。
よくスポーツ新聞なんかで
「超ド級のルーキー」なんて表現を見たりしますが、この「ド級」はドレットノートの事です。日本でも慣用句になってしまうくらい、革命的な戦艦だったのです。
で、ここまでが前ぶり。
フィッシャーのコンセプト『速度こそ命!』をつきつめていくますと、最終的にはこうなります。
『当たらなければどうということはない!』
あんた何処のシャアさんだよ、と言いたくもなりますが、そーゆー人なんだからしょうがない。
このコンセプトに基づいてあるフネを建造します。
まず、単一巨砲理論に基づき、12in砲を戦艦とほぼ同じ数を搭載しましょう。
当たらなければどうということはないので、装甲はこれまでの装甲巡洋艦と同じでおっけー。150ミリの装甲でも水線部に貼っておけ。
当たらないためにも、ボイラーじゃんじゃん積んで速力アップ!
こうしてできたのが
巡洋戦艦インヴィンシブル(HMS Invincible)
装甲巡洋艦はとうとう戦艦サイズまで進化したというか、発展してしまったというか。
12in砲8門、速力なんと25kt
相手が装甲巡洋艦なら砲力で圧倒し、相手がド級戦艦なら速力を生かして逃げればよい。
多数のボイラーを搭載し、高速力発揮のための細長い船体は、まさに究極の巡洋艦であり、海の女王でした。
当然、世界の主要海軍国は競って巡洋戦艦を持とうとしました。
極東の貧乏島国も欲しがってイギリスに1隻の巡洋戦艦を発注しました。
それが巡洋戦艦『金剛』です。
やっと艦これに追いついた!・・・・・でも、艦これの金剛さんはちょっと違うんだよ。
ま、それは置いといて。
究極の巡洋艦である巡洋戦艦ですが、欠点が2つほどあります。
まず1つめ。
クソ高いです。
前回装甲巡洋艦で防護巡洋艦3隻買えると申し上げましたが、そんなレベルではありません。
巡洋戦艦を多数持とうとすると、貧乏国ではマジで財政破綻します。
そもそも、戦艦と同じ主砲を多数装備すれば戦艦と同サイズになる上に、多数のボイラーを搭載、しかも高速力発揮のため船体幅を広げる事ができないとなれば、いやがおうにも全長は長くなるわけでして、そんなフネが安く出来るはずもなく、
ライオン級に至っては戦艦の建造費を越えました。
続いて2つめ。
『当たらなければどうということはない!』
これを裏返せば
『当たるとエライことになる!』
というわけで、脆いです。
だって装甲はそれまでの装甲巡洋艦と同じだしぃー。
世界最大の水上砲戦海戦であるジュットランド海戦において
「インヴィンシブル」「インディファティガブル」「クイーン・メリー」の実に3隻の巡洋戦艦が
爆沈。
この脆さは第2次世界大戦でもかわらず
デンマーク海峡海戦では「フッド」が爆沈。
戦艦より高価なフネが、1発爆沈ってどうなのよ?ってことで
巡洋戦艦の短い歴史は終わりました。
・・・・で終わりではつまらんので、その後のお話もちょっと。
まず、第1次世界大戦が終わり、巡洋戦艦を保有していた各国は防御力強化に乗り出します。だって血反吐を吐く思いで買ったこんな高いフネ、使い倒さねばもったいない。
日本海軍の場合、機関部やら弾火薬庫に装甲張ったりで重量増加、速力減少で
ただの戦艦になりました。
しかしながら、
『速いのは良い!砲力が戦艦と同じなのも良い!でも防御力が弱いのはイカン!』
というわけで
『だったら、戦艦を速くすりゃいいんじゃね?』
というわけで巡洋戦艦の強化ではなく、そもそも戦艦を速くすりゃいいというわけで
クイーン・エリザベス級が誕生します。
これを『高速戦艦』と呼びます。
途中軍縮条約があったりで戦艦の建造が止まりますが、中には機関を換装して速力アップを果たした戦艦もあります。
戦艦金剛がそれで、防御力強化で速力低下→戦艦になってしまったので、第2次改装ではボイラーと主機を換装、高速戦艦となりました。
艦これの金剛さんはコレです。
ともかく、大和、ノースカロライナやサウスダコタ、KGⅴなど戦艦としての最終進化系が高速戦艦です。
そして高速戦艦として誰もが思い浮かべるアイオワ級。
あれ、どちらかってーと巡洋戦艦系列のおフネでして。
そのアイオワ級が湾岸戦争まで活躍する事になるんですから、世の中わからんものです。




さて、装甲巡洋艦→巡洋戦艦と発達し、最後は消滅してしまいました。
そもそも巡洋艦とは使い勝手が良いフネだったはずです。
装甲巡洋艦ならまだ我慢できようが、巡洋戦艦は使い勝手が良いフネとは決していえません。
しかし、装甲巡洋艦は巡洋戦艦にはかないません。
つまりですね、装甲巡洋艦が巡洋戦艦に発展したことで、正統な巡洋艦というものが消滅してしまったのです。
これはなんとかせねばいかん!というわけで次回は
・・・・那珂ちゃん出番ですよ!




※ジュットランドでの英巡戦爆沈の原因について。
『遠距離砲戦により落角が増大、それにともなう水平装甲貫通』
というのが一般的ですが、艦船研究家の新見 士郎氏によると、射撃速度向上のため装薬の取り扱いが杜撰になっていたそうで、こっちの方が爆沈の原因としては大きいようです。
詳しくは書泉グランデで自虐的巡洋戦艦史を求めるか、三脚檣でググると幸せになれます。

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2013年11月26日 (火)

艦船物語~巡洋艦編3

艦船物語~巡洋艦編

皆様こんにちは。
今や異例の大ヒットとなっている艦これ。
ガルパンのように、ダークホースが覇者になる展開を見せているわけですが
残念ながら艦これには秋山殿のようなお方がいないので、不肖僭越ながら
巡洋艦ってなに?駆逐艦って?
ってものをワタクシが解説しちゃったりしようかと。
・・・あ、ガチな方はお帰りください。っていうか石投げるのやめて。
基本的に、大まかな流れを浅く緩く短く文章にしてみようかと思いますので、より詳しい事をお知りになりたい方は専門誌なりググるなりしてくださいませ。
それでは、巡洋艦の物語を。



第3回「装甲巡洋艦(Armored cruiser)」

さて前回、防護巡洋艦を衰退に向かわせた速射砲を矛とするなら、
今回は盾である装甲が大きく関わってきます。
19世紀末から20世紀初頭の技術革新ってのは、そらすんごいハイペースでして
最初はただの鉄だった装甲も、
鋼になったり、焼入れしたり、表面硬化処理されたりで、とうとう「見た目薄いけど硬てぇぜ!」なんて装甲板ができあがりました。
VC鋼だのKC鋼だの呼ばれるヤツですな。
一例をあげましょう。
日露戦争で活躍した富士級戦艦の主要装甲厚(水線部)は457mm
それが次級の敷島級ではなんと229mm
薄くても防御力は同じ、もしくは上!
軽くて丈夫な装甲板が出来る!なら、もう1回巡洋艦に装甲を張ってみよう!ということになりました。
これを装甲巡洋艦(Armored cruiser)と呼びます。
え?第1回のベルテッド・クルーザーとどう違うのかって?
ベルテッド・クルーザーは水線部に装甲を張っただけ。当時の製綱技術だとそれで精一杯。
装甲巡洋艦は水線部は勿論、甲板やら砲塔やら艦上構造物やらあちこちに装甲を張ってます。
もはやミニ戦艦。
それでいて高速なんですから、便利ですな。

え?欠点ですか?

高いです。
装甲巡洋艦1隻で防護巡洋艦3隻作れます。
だもんで、ミニ戦艦と評したように、貧乏な国だと装甲巡洋艦買って戦艦代わりにしたところもあります。
極東の島国、日本帝国海軍も貧乏でしたので、日露戦争前に、春日・日進という2隻の装甲巡洋艦を購入しましたが、戦艦戦隊に配属され、戦艦として運用されました。

こうして、高いという欠点はあれど、とにかく装甲巡洋艦が主役の時代が到来したのです。
しかし、「盛者必衰の理をあらわす おごれる人も久しからず」でして、防護巡洋艦のように、装甲巡洋艦もまた廃れていきます。
今度は技術革新が原因ではなく、ある1人の提督が生み出した、1隻の巡洋艦によって。
その提督の名はジョン・アーバスノット・フィッシャー。
次回はちょっと寄り道して、近代海軍史上最も美しく、薄命に終わった海の女王の物語です。




※装甲巡洋艦衰退の原因には、石炭から重油への燃料の転換があるのですが、わかりやすさ&面白さ優先でここでは端折ってます。詳しいことは専門書でも漁ってくださいまし。

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2013年11月11日 (月)

艦船物語~巡洋艦編2

皆様こんにちは。
今や異例の大ヒットとなっている艦これ。
ガルパンのように、ダークホースが覇者になる展開を見せているわけですが
残念ながら艦これには秋山殿のようなお方がいないので、不肖僭越ながら
巡洋艦ってなに?駆逐艦って?
ってものをワタクシが解説しちゃったりしようかと。
・・・あ、ガチな方はお帰りください。っていうか石投げるのやめて。
基本的に、大まかな流れを浅く緩く短く文章にしてみようかと思いますので、より詳しい事をお知りになりたい方は専門誌なりググるなりしてくださいませ。
それでは、巡洋艦の物語を。



第2回「防護巡洋艦(Protected cruiser)」

さて、前回は
まともな装甲を持った、適度な武装を持つ快速艦はできません、って結論で終わりました。
だがしかし、世界中に権益を持つ英国からすれば、
「そこをなんとかしたい」
と思うわけでして。
そこで彼らは考えた。
「舷側に装甲じゃなくて、装甲甲板にすればよくね?」

このシリーズでは絵とか使わず、できるだけ簡潔にしていきたいのですが、今回ばかりは(ブログ主のへたくそな)画像を使います。でないと理解できないもの。

3


この赤い線が装甲。
つまり、舷側に装甲を張るのではなく、艦内に装甲甲板を張ったのですな。その下には機関があります。
で、敵の弾は海面とほぼ平行に飛んできます。
この辺、主砲仰角一杯の画像なんか見たことがある方だと誤解しやすいのですが、あれは大遠距離射撃のもので滅多にするもんじゃありません。っていうか第一次世界大戦では遠くとも距離2万程度。仰角も20度程度ですわ。
だモンで、第一次世界大戦どころか日清・日露戦争当時やそれ以前は距離100~6000。ほぼ水平射撃が普通です。
さて、水平に飛んで来た弾は舷側を突き抜けて装甲甲板にあたります。しかし、装甲甲板はゆるく湾曲しているので、たとえ装甲が薄くとも実質数倍以上の厚さを持ちます。
それどころか、浅い角度で当たるので跳弾になるかもしれません。
もちろん舷側は打ち破られるので、水線部に命中すれば浸水するでしょう。
しかし、装甲甲板と舷側は水線下で結合しているのです。
つまり、装甲甲板より下に浸水することはない!
なんて素晴らしい。
この防御方式で建造した巡洋艦を「防護巡洋艦(Protected cruiser)」と呼び、当時の巡洋艦の主流となりました。
だってねぇ、何といってもお安いんですもの。
薄い装甲で蓋して、ちょいちょいと上部構造と兵装つければできあがり。軽いから速度も出る。
もういいこと尽くめ!
・・・・・・だったのですが、
とある海戦以降、防護巡洋艦は廃れてしまいます。
その海戦とは日清戦争で行われた、黄海海戦。
ある大砲が出現しはじめた時期でもあります。
その大砲の名は「速射砲」
実は、これが速射砲だ!というモノはなく、はなはだ曖昧なものなのですが、大幅に端折って言えば
「尾栓や駐退機の発達により、以前よりも大幅に射撃速度が向上した大砲」
ということになります。
だもんで、戦艦大和の46cm砲も、速射砲っちゃ速射砲です。
だって1890年代なら1発打つのに10~20分はかかるサイズですから。
閑話休題
この速射砲、もちろん最初は小口径のものから始まりました。
3inや5inの類です。
これなら防護巡洋艦の防御方式で十分のはずだったのですが・・・・
速射砲相手の場合、まったく想定外の事がおこりました。
まず、1分に4~5発は撃ってきますから、前に撃った弾着を観測して修正データとして利用できるため、大幅に命中率があがりました。
これに対して、確かに装甲甲板は役に立ちましたが、バシバシ命中するもんですから
上部構造物を滅茶苦茶に叩かれ、戦闘力を失ってしまったのです。

戦闘艦が戦闘力を失って、何の意味があるのか?
浮いているだけじゃダメじゃん。
これ以後、防護巡洋艦は衰退していきます。

ううむ、困ったぞ、と提督たちは考えます。
そして、また違う防御方式を持つ巡洋艦が始まるのです。


防護巡洋艦の衰退には、石炭庫を防御に使えなくなったってのもあるんですが、その辺詳しいことは各自専門書でも漁ってくださいまし。

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2013年11月 1日 (金)

艦船物語~巡洋艦編1

皆様こんにちは。
今や異例の大ヒットとなっている艦これ。
ガルパンのように、ダークホースが覇者になる展開を見せているわけですが
残念ながら艦これには秋山殿のようなお方がいないので、不肖僭越ながら
巡洋艦ってなに?駆逐艦って?
ってものをワタクシが解説しちゃったりしようかと。
・・・あ、ガチな方はお帰りください。っていうか石投げるのやめて。
基本的に、大まかな流れを浅く緩く短く文章にしてみようかと思いますので、より詳しい事をお知りになりたい方は専門誌なりググるなりしてくださいませ。
それでは、巡洋艦の物語を。




第1回「ベルテッドクルーザー(Belted cruiser)」

さて、巡洋艦ってなんでしょうか?
いきなり難問です。実は明確な定義はありません。大まかなイメージとしては
航洋性にすぐれ、適度な大きさと適度な武装をもち、文字通り大海を巡洋できるフネ
ということになるかと思いますが、中には水雷巡洋艦なんてものとかあったりするので
はっきり言って巡洋艦の定義は曖昧です。
この曖昧さが、後に大問題をおこすことになります。
で、実は巡洋艦という概念は近代のものです。
帆船時代は風と食料と水さえあれば、フリゲート、戦列艦関係なく大海原のどこへでも行くことができました。
しかし、技術革新はロマンあふれる帆船を過去の物へと押しやってしまいます。
まず装甲。
コレを艦に貼ると、弾に貫通されないから沈まないぞ!そのかわり艦が重くなり喫水が下がってしまいました。
次は内燃機関。
コレを使うと風向きに関係なく動けて便利だぞ!常に優位な位置取りができるぞ!その代わり、石炭が無くなったら動けません。航続距離という足かせができました。あとエンジンって重いです。
とにかくこの技術革新により、装甲艦というまったく新しい艦種ができあがりました。
この装甲艦、確かに強いのですが乾舷が低く航洋性は低いし遅いし、なんとも使いづらい艦なのです。かといって戦列艦では打ち破れない強い艦でもあったのです。
この状態をみて、英国海軍の中の人は思います。
「昔はさぁ、帆船でどこにでも巡洋航海できたじゃん。フリゲートなんて快速だったじゃん。そーゆー装甲艦欲しいよね」
はい、巡洋艦の誕生です。
乾舷は高くして、水線部には装甲を、ただし重くなると困るので、少し装甲の幅は狭くしましょう。
1877年、シャノンという巡洋艦が竣工しました。
これを装甲帯巡洋艦、ベルテッドクルーザー(Belted cruiser)と呼びます。
さぁ使い勝手がいい艦ができたぞう!
え?欠点ですか?
遅いです。
そう、この当時の技術力では十分な出力の機関を作ることができなかったのです。
しかし英国海軍はあきらめません。
まず機関を強化しよう。そして艦を軽くしよう。そうすりゃ早くなるはずだ!そうだ、装甲帯の幅を狭くしよう!
こうしてオーランド級巡洋艦ができました。
でもね、強力な機関ってことはそれだけ重くなるわけで、ついでに新しい大砲積んじゃったりしたもんで
装甲帯が水線下になっちゃった。
それ意味ないだろうw
つまり、当時の技術力では使い勝手がいい、装甲を持った巡洋艦なるものはできません、って結論になりました。
しかし世界中に拠点を持つ英国海軍、そんな結論認められるわけが無く、
新しいタイプの巡洋艦を考えるようになります。

追記。
失敗作扱いのオーランド級巡洋艦ですが、高い乾舷、高い航洋性、適度な武装と、とても使い勝手はよかったそうです。ただし装甲は水面下ですから実質非装甲艦ですが。

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